「1人に一つの身体」は贅沢品になった。貧しい生まれの私たちは、一つの身体を2人で共有している。
元々は隣の家で産まれたダリアと私の心は、一つの身体に収まっている。いつどこにいても、2時間に一度、眠りから醒めるように身体のオーナーが切り替わる私たちにとって、1日は24時間ではなく、12時間ずつだった。
私たちは誰よりも近くにいるのに、一度も顔を合わせたことがない。見た目は同じでも、付き合う友達も別々だ。それでも、ときどき書くお互いの交換日記を読むだけで、私とダリアが親友だと信じられる。
だけど、最近のダリアの日記には怪しいところが多い。書いてあることと矛盾する痕跡が多いし、何か大きなことを進めようとしているようだ……。